生きるためには、別れるしかなかった
最近、桜坂劇場で韓国映画「クロッシング」を観ました。この映画を観た主人に勧められ、「クロッシング」の存在を知りました。私自身が韓国人だからなのか、脱北者をテーマにしていることがとても気になったため、早速映画館へ足を運びました。
クロッシング」は、今の北朝鮮を生きているある家族を物語り、その生活状況や暮らしぶりを再現しているような感じを受けました。「百閒は一見に如かず」という諺がありますが、映像から彼らの暮らしを目にすると、想像をはるかに超えるものでした。人間の生理的欲求が満たされていない上に、命が危ないほど、人権さえ守られてない北朝鮮の人たちの現状。彼らには何の罪もなく、ただそこに生まれただけなのにと、「クロッシング」を観る間、ずっと涙が止まりませんでした。
映画は家族の別れと死をテーマにしていて、珍しくもないですが、同じ民族だけに、胸がつまり、痛んできました。俳優たちの自然な演技から登場人物に同化され、その気持ちがそのまま伝わる、心が強く打たれる作品でした。
この映画をきっかけに北朝鮮への見方が変わるような気がします。今までメディアから北朝鮮のニュースを耳にしても、そこの人々の顔は見えてきませんでしたが、これからはそこの人々の気持ちを思い浮かべられるような気がします。
(2010年8月11日、琉球新報「読者らん」に掲載されたものです)